75年にはマッコイ・タイナー、チック・コリア、ウイントン・ケリーといった人たちの演奏などががまるまるコピーされた教本(楽曲集)『JAZZ PIANO IMPROVOSATION1〜3』(藤井貞泰/リットー・ミュージック:1975年)が、藤井貞泰によって発売されたのである(下図)。 |
その後、藤井貞泰は『ジャズピアノ・モード奏法』『ジャズピアノ12のkeyで実習するインプロビゼーションの技法』(リットー・ミュージック)、『実用ジャズ講座1』(立東社)下図など、次々と実用的なジャズ教本を発行。ベルリンの壁崩壊ならぬ、ジャズ教本の壁崩壊は、藤井貞泰によってなされたと言って良いのではないだろうか。 |
『実用ジャズ講座1』は左のようにワークブックスタイルになっており、書き込みをしながら学べるようになっている。(書き込んだ痕跡がある。本書で学んだことを思い出した。)
ではなぜそれまで、日本において実用的なジャズピアノの教本が出版されなかったのかそれにはいくつか理由があるだろう。
一つには、ジャズの本質はあくまでも即興である以上クラシックのように音を楽譜にエクリチュール化すること自体、ミュージシャンにとって心情的に抵抗感があったと考えられる。 さらに、クラシック音楽なら、その仕組みや全体像を楽譜に露わにしたところで、難曲を弾きこなすには相当の修練が必要であるが、ジャズの場合、演奏の方法論がわかれば、下手は下手なりに演奏が可能なのである。 したがって演奏法がわかってしまうと、誰でもジャズが演奏可能となって(本当はそんなことはないのだが)、プロのミュージッシャンとして困るので、なるべくブラックボックスにしておきたいと考えたのかもしれない。(そう言えば、テリー・ハーマンこと坂元輝が『ジャズ』誌の「坂元輝ジャズ・ピアノ・ワークショップ」に、「昔、日本のモダンジャズの父、守安祥太郎が教則本を書いていて、もうすぐ出版するという時、その噂を聞いて、それをよしと思わない、ミュージシャン達が守安を駅のホームから、、、、。」なんて書いたあったが、本当か〜?それにしてもテリー・ハーマンの文はいつも途中から小説になるんだよな。まぁ面白いけど) さて、ジャズ教本のベルリンの壁が崩壊する70年代半ばから、百花繚乱のごとく、ジャズ教本が出版され、特に藤井英一(は昔から教本を出してはいたが)、稲盛康利、林知行と言った人たちはそれぞれ100冊くらいの教本(再販も含めて)を出しているのではないだろうか。 ところで私は高校時代、ジャズピア二ストになりたいと思ったことがあったが、興味の対象がジャズから現代音楽、さらにアートへと変化したこともあって、ジャズピア二ストにはならなかった(と言うよりなれなかったと言う方が正しいが)が、ジャズピアノ教本はまだインターネットがない時代、ダウンビートの広告を見たり、ニューヨークの古本屋からカタログを取り寄せたり、バークリー音楽大学帰りの友人に聞いたりして、新しい教本が出るとこれはと思うものは購入していた。 もっとも最近では、出版数も多く、また似たような本も多いので、あまり購入しなくなったが、代わりに最初のジャズ教本は、誰がいつ頃出版したのかと言う、文献学的、考古学的な興味が湧いてきたのである。
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