フリーミュージック1960~80開かれた音楽のアンソロジー

TPAFの出版物

TPAFにおいて、最初に出版したのは本書である。

フリーミュージック1960~80:開かれた音楽のアンソロジー

1.変革の季節・・・・ 副島輝人

2.フリー・ジャズからフリー・ミュージックへ ・・・横井一江

3.即興演奏とレコード・・・・・Onnyk 金野吉晃

4.AACM突撃日記…・・・・・ 豊住芳三郎

5.間章「<なしくずしの死>への覚書と断片」読解・・・・  川口賢哉

6.音楽の解体へむけて<Vedda Music Workshopの時代> ・・・風巻隆

8.フリーミュージック:Chaosmosの実践プロセス・・・河合孝治   

9.「即興」に向けた断片による試論・・・・・・・・・宮田徹也

10.「即興論序説」・・・・・・・・・・・・・・・・ 志賀信夫

11.コンセプトと自由、、Freejazz・・・・・・・・・山下史朗

*ディスクガイド ・・・・金野吉晃 末冨健夫 横井一江 河合孝治 牧野はるみ 川口賢哉 豊住芳三郎

Chap Chap Records(ちゃぷちゃぷレコード)の末冨健夫と河合孝治の共同編集によるものであるが本書を発行するあたって、以下、末冨健夫の話

本書出版のきっかけは、もう何年も前になるが、河合孝治による「フリー・ミュージックの本を出すから協力して欲しい。」という雲をつかむような一言だった。ちょうどその頃、ある若いミュージシャンから「フリー・ジャズやインプロのCDを買いたいけど、何を買ったらいいのか分からない。」と、相談されていた。ジャズのレコードのガイド本はたくさん出ているが、フリーに特化したガイド本は全く無かった。上村二男氏編纂の三冊の「ジャズ・レコード・ブック」が有るが、これはほぼ全てのアルバムを網羅したもので、初心者だと逆に途方に暮れるだろう。だが、ただのLPやCDのガイド本にはしたくないということもあり、読み物があくまで中心で、アルバム紹介はとりあえず166枚に絞ることとなった。

実は当初1000枚くらいのレヴューを予定していて、私を含め何人ものレヴューアーが手分けをして仕上げて行ったのだった。それを166枚にしてしまったので、相当数のレヴューが掲載出来ずに終わったことに関しては、この場を借りて各レヴューアーの方々に謝らねばならない。未掲載分は、ちゃぷちゃぷミュージックのホームページで少しずつ公開いたします。それでご勘弁願いたい。

そもそも「フリー・ミュージック」とは何ぞや?ということから入らねばならなかった。1949年のレニー・トリスターノのグループによる「Intuition」と「Digression」の2曲がフリー・インプロヴィゼイションの最初の録音とされているが、一般的には1950年代半ばのオーネット・コールマンとセシル・テイラーの試みが、その最初と認識されていると思う。「Free Improvisation」という言葉にこだわれば、ジャズのみならず民族音楽から現代音楽まで一気に領域が拡大してしまう。現在の即興音楽の状況は、ジャズから派生したフリー・ジャズがヨーロッパに渡り、どんどん拡大拡散していきフリー・ミュージクと呼ばれるようになった。

一方アメリカではクリエイティヴ・ミュージックと呼ぶ者も現れた。その後完全即興はインプロヴァイズド・ミュージックと呼ばれるようになり、明らかにフリー・ジャズとは一線を画す意味合いも含むようだ。そんなレッテルを無視してみても、今や現実はジャズ、ロック、現代音楽、クラブ・ミュージック、民族音楽/伝統音楽といった音楽のフィールドのみならず、モダンダンス、舞踏、詩、アート(特にメディア・アート)関係等が混ざり合って混沌とした状況の中、化学反応を起こしながら従来のジャンル分けなど吹っ飛ばす勢いで離合集散を繰り返している。間違いなくこの中から、大きなうねりが起こることだろう。と、ここまで扱ってしまうときりがない。そこで、この度は1960年(頃の意味合いで)から1980年までとアルバム・レヴューも読み物も限定させていただいた(末冨)。

末冨健夫は私が「フリーミューミュージックの本をだすから協力してくれ」と言ったと言うが、私は本書で多くのスペースを占めているフリー・ジャズついて特別詳しいわけではない。従って私の記憶だと末冨に「フリーミュージックの本を出すのはどうだろうか」と提案する程度だったように思うが、まぁ、それはどちらでもいい。言葉とは「言葉に出す役割と」「言葉に出させる役割」がある。わたしはたまたま前者の役割だったに過ぎない。と言うのも物事は人と人の中間で生まれる。だからよく「お前が言い出したことじゃないか」とか「意見を言わなければ参加したことにならない」という言い方は間違いなのだろう。そのようなことを感じつつ、本当はこのような本をだしたいと強く思っていたのは末冨だろうし、それが実現できたのも、彼の熱意と努力によるところがもっとも大きかったことは強調しておきたい。

ところでフリーミュージックについて語る時、私は釈迦が「カーラーマ経」でのべた次の言葉を思い浮かべる。

*聞いたからと言って信じることなかれ

*語り継がれたからと言って信じることなかれ

*人々が噂をしていたからと言って信じることなかれ

*教本に引用されていたと言って信じることなかれ

*自分の見方に一致するからと言って信じることなかれ

*師なりとて信じることなかれ

そして釈迦はたとえ自分の教えであっても絶対的なものではなく宝のように扱ったり執着してはいけない、古くなったら捨て去れと述べているである。まさにこの言葉もフリーミュージックの精神そのものではないか。

だからフリーミュージックは「そうかわかった。」と思ったら、別の所からまた違ったフリーミュージックが「こちらのほうが本物ですよ」とやってくる、永遠に未完成で脱構築の音楽なのである。

従って私達はフリーミュージックに接する時「常に頭をやわらかく、思考を宙吊り」にしておく必要があると思う。

常に一時的個体性、一瞬一瞬の遭遇。執筆者も読者もそのような触視聴的出逢いによって本書を共有できることだろう。

さらにフリーミュージックは一方で高度な技術と知性を備えた音楽家による演奏を必要とするが他方で誰でも演奏可能な音楽とも言える。ようするにどんな人でも社会的存在であることを実感できるのである。

 

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