現代音楽とメディア・アートの空観無為

TPAFの出版物

現代音楽とメディア・アートの空観無為

目次

1. 現代音楽をめぐる諸問題について・・・・小森俊明
2. Chaosmos:間-共創成へ向けて・・・・・河合孝治
3. 森村泰昌の四半世紀ー変容の変容を追って・・・・小森俊明
4. 無分別智の芸術 :ジョン・ケージからメディア・アートに気づく・・・河合孝治
5. 「反-自動化主義」宣言 -メディアアートと科学技術の相関主義への批判・・織田理史
6. フリー・インプロビゼーション・・・河合孝治
7. 「現代のダンス」という未知なる領域へ、あるいは多木浩二へのオマージュ・・・小森俊明
8. アプリ・アート試論―その特異性の出現と消失・・・織田理史

 本書は即興ユニット「空観無為」のメンバーである河合孝治、小森俊明、織田理史の3人のアーチストによる共著である。
 内容は音楽、造形、メディア・アート、ダンスなど多岐にわたっている。なぜなら、3人に共通しているのは、その表現方法が、音を中心としながら、多様なジャンル、メディアに関心をもって繋属しているからである。
そして今回本書を出版したのは、本と言う言語テキストもまたアート表現の一つとして重要だと考えるからであるが、また広義ではアートも含め、あらゆるものは言語分別によって成立しているとも言えるのである。     

 しかし、どんな表現もそれ自体、私達は絶対視しているわけではない。それは今更、差異や脱構築と言ったポストモダンの思想を持ち出すまでもなく、一冊の本も執筆しなかったソクラテスと釈迦の行いを知れば十分であろう。
 ソクラテスにとって言葉は「語るべき人には語り、沈黙するべき人には沈黙するという術を心得ているもの」でなければならなかった。本を書いてしまうと、著者の意図や本質から離れて理解されてしまうからである。従ってソクラテスは産婆術と言う、対話を通じて相手と共に答えを模索していくことを選んだ。
一方、釈迦は「対機説法」と言う相手の性格や能力、素質に応じて、相手が理解できるように法を説くと共に、自分の教えさえ絶対なものではなく、どんなに素晴らしい教えであってもそれは暫定的なものに過ぎず不要になれば捨てるべきだと考えたのである。
 

 つまり大切なことは、いつでも大変な時代、転換期の時代と不安を煽るマスコミの言説に一喜一憂することなく、また絶対的な真理や的確な答えを求めることでもない。大切なのは他者との対話を通じて他者に対して、批判力や判断力を持ちつつ、自己自身を反省し、自己を見つめることである。
そして宇宙の基調はあらゆるものが相互に関係し合いながら常に「生成・変化・消滅」を繰り返していることを考えると、アートはそのような世界において、固定された分別を否定する無分別心を常に保ち続けること、還元すれば「音楽でない音楽」、「アートでないアートを」常に探求し続けることが必要だと思うのである。「空観無為」とはそのような試みを示しているのである。

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